dnr

do not resuscitate: 蘇生措置拒否

とあるドキュメンタリー番組を観て、この言葉を知った。番組の中心は終末期医療の医者であり、僧侶でもある人だった。彼の妻も同じ医者であって、終末期医療に携わっていた。医者であり、僧侶でもある彼は癌になった。自分の運命を呪うかのごとく、皮肉な人生になっていた。なんとなく医療と宗教はすごくかけ離れているような気がするが、俺はとても納得した。というか、それがどう人間に対して役割を持つのかが知りたくて番組を観た。そういえば、休学しぱなっしの大学四年生でターミナルケアをちょうど勉強する予定だったから、ちょうど良いとも思った。大学にいつ復帰するのやら、まったく検討もつかないが、とにかくもう少し様子見だ。

俺は常々生きることよりもどちらかというと死ぬことを考えていて、それもネガティブに捉えられるとすごく困るのだけれど、割といつ死んでもいい、というか、今自分の命が終わった時に後悔しないように生きるポジティブな方だ。だからいろんな人の死生観、特に哲学者や宗教家なんかの類、それが俺はとても好きでよく読み漁っている。彼もそう言っていた。死ぬのは怖くない。

それでこの番組を観て感じたのは、人間は自らの死を乗り越えるのはそんなに辛くないんだ、という結論に至った。やっぱりそうだった。死ぬよりも怖いことは死んでいるように生きることだと思う。死んでいる方がマシな人生を何度も経験してきた俺だからわかる。結果的に今は生きてはいるから、死ななくて良かったのだけれども。彼もDNRで看取ってほしいとのことで、死を確かに来るものとして捉えていた。彼は癌に侵されていたが、お酒も飲むし、食事制限もほとんど行っていなかった。「病気だからって病気が悪い訳じゃない。病気に人生を乗っ取られる必要はないんですよ。」的なことを言っていた。俺は今まで自分との病気と闘っていくのに、現代医療の限界を感じてしまって、民間療法的なものも試してみたが、まったく効果がなかった。結局行き着く先は哲学か宗教だった。答えのないものを問い続ける作業が俺にとってはとても大切な生き方なんだと考えている。生きるのはとても辛くはなるけれど、自分を殺すよりはマシだ。だからなんとなく自分が行き着く先が分かってはいるけれど、それを遠回りしながら確かめる作業をしている。

久しぶりにスマートフォンじゃなくてパソコンから書くとすごく長くなってしまった。適当に書いて、誰かに読んでもらおうとも思ってないのに。それは嘘だ。俺を見つけてくれた人に読んでほしい。生き辛い人がそれでも生きる理由を。

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